私は生きていたくなかった
死にたいわけではなく、生きていたくない
茶化してみても、身の回りのことを、他人に任せる日々
トイレにゆくのだって「お願い」しなければならない
長女気質もあってか「誰かに頼る」事がとても苦手で
コロナ感染によってすべて変わった
テレビで見ていた「重症化」患者はわたし
満足に右足の指一本さえ動かせない
生きていたくなかった
でも
私を「生きる」状態に繋ぎ止めようとしてくれてる家族がそこにいた
おじいちゃんはオロオロと部屋の前を行き来し
おばあちゃんは毎日桃を剥くし
母は鬼の剣幕で病院に詰め寄り
妹はオートミールでリゾットを作る
夫は8時間かけて岩手へ車で送り届けてくれた
なんだよ
生きていたくないなんて考える隙間ないじゃん
いまは、尿道カテーテル(4代目)入れて酸素吸入器付けて、投薬治療の影響で顔ぱんぱんだけど、生きてる手触りを感じる
食が細くなってしまった私を慮って、「何なら食べられるだろう」と主食を温かいおうどんにしてくださった看護師さんがいる
尿カテは今日も赤だったり白だったり賑やかで
こんな晴れた日は外に出たくて
サンドイッチ買ってピクニック行こうね
皆様愛してます
完治となるまで、まだ、まだだけど
その日まで見守ってね