目次
【イントロ】
コロナと初めて出会ったのは、8月の暑い日じゃった。
これまでに付き添いで乗った事のある救急車に、自分の事で初めて乗ったのじゃった。
始まりは風邪が悪化した程度。点滴を打ち、内服薬を服用する事で、なんとか回復。
内服薬大っきくて、虫みたいで泣いちゃった。
ただ、コロナきっかけで持病が悪化したので、主治医に泣きつき入院要請。
そんな入院生活が4ヶ月に及ぶとは、想像もしませんでした。
髪の毛は増え放題、爪も伸び放題、焼肉は食べ放題。
思えば遠くへ来たもんだ。
ここで各月毎に、入院生活を振り返り、4ヶ月の思い出や学びを振り返ろうと思います。
本記事は前半戦のまとめになります。よろしくお願いします。
心身共に色々ありました。
私から言えることは、
厄除けはしとけ(今年前厄)
先人は偉大です…
【9月】生きたくなかったのに、生きたくなって自分を愛しく思えた月
入院し、その出会いは突然でした。
いつも通りの入院生活始まり!やれやれ
と思いきや、いきなり強烈ばあちゃん降臨です。(参考:https://kajilaw.com/%e4%ba%ba%e5%a6%bb%e3%80%81%e6%8b%85%e5%bd%93%e5%8c%bb%e3%81%a8%e5%87%ba%e4%bc%9a%e3%81%86/)
「多少のワガママは仕方ないよね、お年を召してるし」
と思っていました。わたしは甘かった。
強烈ばあちゃんは、朝方に毎日お煎餅を食べ、徘徊を始め、
別のおばあちゃんが「お煎餅食べるの控えて欲しい」と要請すると、急に耳が遠くなり聞こえなくなってしまって、意に介しません。
毎朝、病室には「バリボリ」が鳴り響きます。
「中々やな…」
と思ってた一方で、私自身に異変が…
尿路感染から始まり、毎日熱発するようになりました。
血液培養の検査をしても、原因がわからず、日々体は衰弱していきます。
何が原因で体調が悪くなっているかわからないため、不安に思っていた矢先のことでした。
胸に激痛が。
胸骨の圧迫骨折かと思うほどの痛みでした。
体温計は39度6分を示しています。
次に目覚めた時、私は酸素供与され、酸素飽和度80%台の世界にいたのです。
「最悪ECMO」
のパワーワードを耳にしながら、訳もわからず、私は救急車に乗せられ、転院することとなりました。
コロナ肺炎と致死率50%の肺炎と共に。

「死にたくはないけど、生きたくもない」
そんな事を抱えながら、ここ数年生きていた私ですが、いざ死にそうになると
「まだ死にたくないなー」
なんて考えるようになりました。
ワガママですね。
転院先の看護師さんは、目を覚ましたわたしに言いました。
「もう大丈夫です、安心してください」と。
不満は言いたくないですが、転院前、割とひどい扱いを受けてしまってた事もあって、そんな私に大層響いた言葉でした。
生きてて良いのかなと思っていました。
生きていてもいい。
その安心感は、今回の入院で1番の贈り物だったかもしれません。
思い返せば、看護師さん達だけでなく、夫も実家の家族も、わたしの命を守るために、ここまで動いてくれていた事に気付くのです。
命はわたしだけのモノでない。
こうして、季節は、夏から秋へ…。
私の闘病生活は、本格化していくのでした。
【10月】居座り続けるコロナ、押し寄せる疾病の波
10月は、ザ闘病生活の月でした。
2つの肺炎に加え、ステロイド性の糖尿病、重症化した帯状疱疹、低血圧、低ナトリウム血症、名前も思い出せない疾病…その他諸々と疾病のデパート状態で、ほぼ寝たきり生活を余儀なくされました。
特に辛かったのは、帯状疱疹の治療です。
8時間おきの点滴を1日3回、副作用でお腹を下すし、夜の10時から点滴をしなくてはならないし…。
じわりじわりと、私のメンタルにマイナスの影響をもたらしました。削られた。
仕方がないことなのだけど、排泄周りが辛かったです。
成人してからはじめて、他人に排泄に関してお世話になると言う経験をしました。
申し訳ないという気持ちが先立ち、ナースコールを押しては泣いてばかりいました。
その頃は、尿道カテーテルを入れていたので、排尿に関しては問題なかったのですが、排便だけはどうしようもできず…。
都度、看護師さんのお世話になる…。
慣れるまで、と言うよりも、自分自身を納得させるまで、ずいぶんと長い時間がかかりました。
看護師さん達は天使以上に天使で、嫌な顔1つせず、私のお世話をしてくれたのです。ありがたかった。
冗談を言って和ませてくれる、看護師2年目の彼女。
いつも穏やかで、バイクを乗りこなし、サンリオピューロランドに行く彼女。
沖縄出身の彼女。
浮かんでくるのは、そういった彼女たちの顔です。
一方的にお世話になるのではなく、どこまでいっても人間関係なのだからと、彼女たちと信頼関係を構築する…そういったことを考えながら過ごしていたように思います。
といっても、できる事は限られているので、名前を覚えるとかその程度ですけど。
果たして、信頼関係を構築できていたかどうか分かりません。
私が病棟からいなくなった後、その病棟の看護師さん達が、寂しがっていた…と人づてに聞き、自分が考えていたことや、それに則った行動は間違っていなかったのかな、とかも考えたりします。
トイレ介助にも3人要していた私が、今は1人でトイレに行っていると知ったら、彼女たちはどんな顔するかな、とかフと思ったりします。
心身共に辛かった10月でしたが、今ここで横になりながらブログを綴れているのは彼女たちのおかげです。
ふ~闘病生活してるね~!
【前半戦まとめ】
大した事書いてないですが、前半戦についてまとめてみたいと思います。
一番、身に染みたのは、
人は人に生かされている
ということです。
自分だけで生きる理由を見出せるほど私は強くなく、持病に心を持っていかれようとしていたんだなぁと再認識しました。
同時に、どれだけ大切に思われているかということを知ることができたのです。
心のどこかで、自分ひとりでなんとかしてきたなどと考えており、勝手にどこか孤独なのだと思っていました。
そんなの思い上がりで、恥ずかしい位なのですが、この夏から家族や医療スタッフみんなが総出で私の命を守ろうとしてくれて…。
生きる
という事を強くつよく思いました。
闘病生活はあと2ヶ月続きましたが、その後半戦は、次のブログで書きたいと思います。
35歳にしてこの境地に至れたことをありがたく思います。
それでは、取り急ぎ。