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【11月】起承転結でいうところの転の月
(前編はコチラ) https://kajilaw.com/わたしの2022年/
天使たちの住処を離れることが決定したのは、転院日の前日。
リハビリの先生にも「明日行くの?あまりにも急すぎて…」と絶句されつつ見送られたのでした。
転院日当日は慌ただしすぎてあまり記憶がございません。
行きは救急車。帰りは介護タクシー。
「おしりが痛いわね」
などと思いながら、久々の東京の街を眺めておりました。
「昨日競艇で勝ったから」とタクシーの運転手さんがご馳走してくれた珈琲と共に。
この月の私的ニュースは、3か月共にいた尿カテが外れた事。
尿カテにはトロと名前をつけて、可愛がっていたものですが、トロと一緒にいると行動が限られて思うように動けないことが難儀でした。
トロとの別れは突然。
担当医よりその宣告をなされ、自尿チャレンジが開始されたのです。
1日目は残念なことに、尿意を感じても、トイレに座っても、シーシーと言っても、自力での排尿が出来ませんでした。
9月に尿カテを取ることに挑戦したのですが、うまくいかずその記憶が頭をかすめていました。
一生一緒にウィキペディア(尿カテと)
そんな文字列が脳内で踊っています。
そんな状態で迎えた2日目。
その日の日中担当の看護師さんが、
「人妻さん、トイレ座ってみましょう。チャレンジしてみましょう」
と促してくれ、自力での排尿に後ろ向きだった私の背中を後押ししてくれました。
おしっこってどうやるっけ?腹圧?出ないかもどうしよう…頭の中はプチパニック。
…!無事成功したときには、トイレで泣いていました。
不安だったのです。
10月の闘病により寝たきり生活を強いられていた私は、筋力も落ち自力での立ち上がりができなくなっていました。
ただ、尿カテチャレンジを通して、何事も諦めてはいけないと、リハビリに励もうと前向きに。
私の11月。
介護タクシーの運転手さんは、私を病院に届けた後にこう言いました。
「あなたは何かよくわからないけど、大丈夫な気がするそういう顔しているよ」
根拠も何もないそんな言葉ですが、そういう言葉が私を勇気づけています。
よくわからないけど、私は大丈夫。
そうして、入院生活は4ヶ月目突入していくのです。
【12月】病気の治療とリハビリの両立に心が折れそうになった月
9月当初から、持病の治療とは別に、ステロイド性糖尿病の治療を行っておりました。
人から見たら、インスリンを打たれるだけなのかもしれません。しかし、私にとってはかなり苦しい治療だったように思います。
血糖値はそこまで下がらないものの、インスリンを打った後は冷や汗が出て、手も震え、薬の袋を開けることも難しくなってしまうほどでした。
そういった治療に何とか数ヶ月耐え、今では服薬での血糖コントロールで血糖値が安定するようになりました。
肺炎に始まったわたしの闘病生活は、たくさんの病気を1つずつ克服し、持病の治療のために使われていたステロイドの量も、減らすことに成功しています。
一方で、12月はめまいがひどく満足な状態で、リハビリを行うことができませんでした。
少しずつ少しずつできる事は増えています。ただ、コロナにかかる前のように自宅で生活するための身体能力には到底及んでいません。
「頑張らなきゃ。頑張らなきゃ」
と言う気持ちだけ募って、できない自分はなんてダメなんだろう、と自分を責めて泣くことが、増えていたのも事実です。
でも思い直しました。
入院中に1人でトイレに行くことができるようになる、車椅子からベッドへ移譲できるようになると言う目標は達成することができたのだと。
気付いたのですが、私は仮説を立て、それをもとに思考を重ね、改善し、目標達成することが好きなようです。
体や病気の事は、どうしても自分の力が及ばない領域でもあります。
そういったことを折り込み、少しずつ前に進んでいる自分を認めてあげることも必要だと気づきました。
本当は歩けるようになりたかった。
今は、横歩きがやっとです。二足歩行はとても難しい。
1月以降の再入院では、横歩きのカニからティラノザウルスへの進化を遂げたいと思います。進化なのか?
【まとめ】
毎日毎日、ごめんなさいとありがとうの間を行き来しています。
私の闘病生活はまだまだ続きます。
もう少しお付き合いいただき、もう少し元気になった姿をお見せできればと思います。
健康な体と言うのは本当にありがたいものです。
それ以上に、何も求めずそばにいてくれる人たちの存在はかけがえのなくありがたいものです。
大人になって、排泄のお世話をしてもらうこと、お風呂の介助をしてもらうこと、いまだに心がイヤイヤします。
大人用のオムツ姿なんて本当は好きな人(夫)に見せたくありません。
大人になってから親の世話になるなんて、申し訳なさでいっぱいです。
そんな私をお世話してくれる夫や家族いうのは、何とありがたい存在なのでしょう。
真正面からお礼を言う事を恥ずかしがっている場合ではありません。
35年で1番の御礼の気持ちをこの記事に込めて、文章を終えようと思います。
それでは、取り急ぎ。